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堺市の葬儀屋さん 小川葬祭社
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営業時間 | 24時間対応 |
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定休日 | なし [年中無休] |
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創業年 | 1972(昭和47)年 |
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「友引の日に葬儀をしてはならない」と思われている方が大勢いらっしゃいます。
友引の日に葬儀を行うと、故人がまだ生きている友達まで一緒にあの世へ引っ張ってしまうから、と。
果たして本当にそうでしょうか。
結論から言いますと、これは誤りであり、間違った考えです。
そもそも「友引」に仏教的な意味合いは全くありません。
ここからは少し専門的な話となりますが、
「友引」は中国の暦である六曜 (先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口) の一つですが、これらは全て仏教とは関係なく、かつて中国の戦国時代に使われた一種の占いとされています。
ちなみに「友引」は引き分けを意味し、勝負事は避ける日とされていたという説があります。
中国の六曜本来の意味でさえ、「友引」に「友を (あの世へ) 引く」という意味は全く無いのです。
しかも六曜は仏教とは全く関係ないので、もはや完全な迷信であるとはっきり言う事が出来ます。
Wikipediaには「陰陽道で、ある日ある方向に事を行うと災いが友に及ぶとする「友引日」というものがあり、これが六曜の友引と混同されたものと考えられている」と書かれてありました。
これが本当かどうか真偽の程はわかりませんが、六曜は当て字なので、本来の意味からも「共引」とされていればこんな迷信は生まれなかったはずです。
漢字で「友」を「引」くと書くから葬儀は避けよう。
そういったあまりに安易な考えが、文献では19世紀頃、全国的に広まってしまったと言われています。
そしてこの迷信は今なお有名な「常識」として全国的に幅広く信じられています。
全ては無知が生んでしまった迷信です。
「常識」ほど疑ってかからなければならないものはありません。
未だに、特に地方では根強く信じられており、年配の方の中には「友引の日に葬儀をするなんて非常識だ」と怒られてしまうこともあるようですが、
友引の日に葬儀をしたからといって友をあの世へ引かれるなんてことはありません。
そんなものは完全な誤りであるとここに断言しておきます。
ただ、たとえ間違いであったとしても、「友引」を心から信じている人にそれを訂正するのは難しいかもしれません。
どうしても親戚などから反対された場合は、仕方なく友引を避けて葬儀をされてもよいと思います。
「友引なんか関係ないよ」と、しっかりとした知識を元に、葬儀に臨める人が一人でも増えることを、いち葬儀社員として願っています。
全国ネットのゴールデンタイムで大々的に「友引」を取り上げ、この迷信の間違いを訂正してもらえたら有り難い限りですが、残念ながら なかなか難しいでしょう。
なぜこの誤りを指摘し、わざわざ訂正しているかというと、この「友引」の迷信が広まっているせいで次のような弊害が実際に起きているためです。
本来は亡くなった日は仮通夜とし、故人を一晩自宅に安置して、身内で集まり、故人と仲の良かったご近所の方々も自宅に訪れ、故人との思い出を語り合ったり、一緒に悲しみを分かち合ったり、また、親戚・会社等に通夜と葬儀の日時を連絡したりと、丸一日かけて葬儀の準備をし、翌日にお通夜、翌々日に葬儀・告別式を行うというのが一般的な流れなのですが、
この「友引」があるせいで、葬儀の日取りを先に延ばしたり、また無理に早めたりということが起こってくるのです。
あくまで葬家の判断によるのですが、特に村の葬儀などでは、自分たちは「友引」が迷信だとわかっていても、周りが嫌がるから友引が葬儀の日と重ならないようにしよう、友引を避けようということになったりします。
すると、この友引を避けるために、亡くなった日に無理やり急いでお通夜をしたり、
お通夜を亡くなった日の二日後、三日後にするといったことが実際に起こってきます。
前者の場合、本来であれば丸一日 時間を掛けて準備をするところを、亡くなったその日にお通夜をするとなれば、余計に大変な思いをしなければなりません。
葬家の方々もほとんど寝ずに準備をして、親戚の方々も急遽「今晩 お通夜をするからすぐに来てください」と言われる破目になる。
後者の場合、本来亡くなった次の日にお通夜が出来るのに、その次の日、さらにその次の日と、日程を延ばすことで線香・ロウソクの番をずっとしなくてはならない負担が増え、精神的にも肉体的にも疲れますし、日にちが延びる分、ドライアイスの交換回数も増えるなど、費用的にもその分無駄に掛かってしまう。
これはとてつもない弊害です。
たった一つの迷信のせいでここまで周りが振り回されるのは本末転倒というか、この迷信のせいで疲れ切った葬家の方々を見ていると、この「友引」さえなければ!と思わずにはいられません。
葬儀というものは、 もっと故人とその周りの人達がゆっくりと向かい合い、感謝と労いの気持ちを込めてあの世へ送り出す儀式のはずです。
こんな誤った迷信は皆できっぱりと否定し、余計な負担を切り捨てるべきだと私は思います。
なので今回、友引について取り上げ、記事にさせていただきました。
「友引」という迷信が全国的に是正されることを、いち葬儀屋としてだけでなく、一人の人間としても強く願っています。
友引の日に葬儀をしても問題ないことはわかった、
友引でも葬儀をすることにしよう、
でも一応周りの目もあるから何か良い手はないものかという方のために、『友引人形』というものをご用意しております。
別途3,300円で追加が可能で、お棺の中へお入れし、「友をあの世へ引かれる」いわば身代わりとして使用することが出来ます。
これも本来不要な物ですが、迷信とはわかっていても
少し気になるようでしたら遠慮なくおっしゃって下さいませ。
四十九日が亡くなった日から三か月にまたがると良くないので三十五日で切り上げなさい
一度は耳にしたこともあるのではないでしょうか?
これも先ほどの「友引」と同じくらい有名な「常識」です。
ではなぜ三か月にまたがると良くないのか?
それは「四十九が三月(みつき)」=「始終 苦が身に付く」だからだそうです。
実は単なる語呂合わせからきている迷信だったのです。
仏教的な意味合いは全くもってありません。
Wikipediaには「男が四十九日で女は三十五日、本家が四十九日で分家は三十五日など、差別的、人権的問題をはらんだ明治以降の俗習」と書かれてありましたが、これはかなりマイナーだと思います。
どのお寺さんに聞いても大体は、この語呂合わせからきているだけだから気にしなくても良い、正式は四十九日で切り上げるのが良い、佛教では満中陰は四十九日と決まっているのだから四十九日で切り上げなさい、と仰られています。
四十九日は月にすれば一か月半以上あるのだから、そもそも月の後半に亡くなった人は皆三か月にまたがってしまいます。
それで四十九日 (満中陰) 法要が三か月にまたがると「始終 苦が身につく」から三十五日で切り上げなさい、というのはいかがなものでしょうか?
法事・法要にもちゃんと意味があって、七日ごとに追善供養をおこなって、七回目の四十九日で切り上げ、五十日目を忌明けとしているのですが、現代はやはり宗教への信仰心も薄れて、形骸化してきている側面もあると思います。
そういった背景もあって、このような迷信が生まれたのかもしれません。
<結論> 満中陰法要は三か月にまたがっても構わない。
三十五日ではなく、四十九日で切り上げるのが正式。
ちなみに関西では、臨終の一日前から数えて七日毎に法要をされるのが一般的です。
(関西以外では臨終の日から数えて法要をされるそうです)
また、初七日は便宜上 葬儀の日に繰り上げて行うことが通例で、
二七日・三七日・四七日・五七日・六七日 (初七日から満中陰までの間) の法要は、
葬家の都合によっては省かれることもあります。
法要は、たとえ平日であってもその当日に営むのが最善ですが、日程に都合が付かない場合は、その当日よりも前に繰り上げて営むのが一般的とされているので、
四十九日の法事は、他の親戚も集まりやすいよう、その当日の直前の土日に行われることが多いです。
昼前に読経をあげていただき、その後に会食、早ければ納骨までされるのが一般的な流れとなります。